根拠のない自信の大切さ
〜子供の頃に持ってたあの、根拠ない自信〜
取り戻そう!
ひょんなことから中学校へ仕事で行ってきました。
自分を五・七・五でアピールしてみよう!ということで、ひとりの男子生徒が読んだ句、根拠ない自信が滲み出てました。
天才児 皆が羨む それは僕
笑
そう!私たちは何を思ったって、自由なんです!
子供の頃って言いたい放題してましたよね。
でもいつしか大人になるにつれて、条件をつけてしまうようになってしまいました。
ここまで仕事をやったら、休憩しよう。
これができたら、あれを買おう。
この話だったら、聞く/聞かない。
この人に話すなら、この言い方がいいな。
などなど。
条件付きで人を判断したり、自分の価値を決めたり。
何もせずにテレビ見てると罪悪感を感じる。
休みの日なのに、家事をしていない。
専業主婦なのに、洗い物が残ってしまうとなんだか罪悪感と情けなさ。
人に言われて、ではなく、自分自身で条件付けて自分の価値を決めるから、相手にも同じように条件付きで判断されちゃうし、相手を条件で観てしまうんですね!根元は自分でした!
自分を無条件に受け入れる!根拠なんていらない!存在しているだけで十分!
そうやって生きてみるの、素敵ですよね♪
心が伴わいないと魔法は効かない
ちゃんとやってるのに、なんで〜〜〜〜〜〜?????
実は、やったからって結果が出るわけじゃない
行動が決定的なのではない
その行動をどんな動機で始めるのか。それが大切。
そして、結果を狙っている間は、結果はでない(涙)
いやーーーーー!と思っている相手の言動だったり、目の前に見せられる現象も、
ハイハイ、これ自分なんでしょう。わかりました、わかりました。
と頭で理解しているだけでは、状況は実は変わらない。
心が伴っているかどうか。
何事も心が肝心。
フワッと、ニコニコってならないうちは、頭主導。
うふふ、ワクワク、ニコニコぉ〜ってなって身体が軽くなったら心主導。
何やっても現状が変わらない時、動機=「心」に立ち返って
この行動に対する私の本音は純粋に「〜したい!」だけなのか、、、
見つめてみると観えてくる♪
今日もしっかり見つめる一日を♪
法則:嫌と思っている間は続く
<イヤ〜〜〜〜と思う現象がスッとなくなる魔法の法則>
こんにちは!今日も清々しく晴れた一日♪
でも、なんでしょうこの感じ…
父の発言が妙に引っかかる。普段から気になる時とそうでない時があるけど、今日は気になる日らしい。
何がそんなに気になるのか… そう、何もかもネガティブに捉える発言。これを聞いているとこっちもなんか楽しくなくなってくる。
あ!忘れてた。これには揺るぎない法則が存在していた!
嫌と思っている限り、目の前の現象は変わらない。
今の私の場合、父を通して聞かさせられるネガティブ言動を拒絶している限り、ネガティブ言動は私の耳目掛けて一直線に入ってくる(汗)
ネガティブ言動って私は捉えているけれど、それって実はシャープな物の捉え方であったり、そのネガティブさ故に冷静に物事を見る、踊らされないといった利点もある。
うーん、それにしてもまだ心ではなんかいや。
は!!!! そうか、自分のネガティブな部分を嫌っているから、他人のネガティブも受け入れられないのか。ネガティブな私も私。ポジティブな私も私。両方 私。
でも、正直まだちょっと苦しい…
やっぱりネガティブな自分をよくない、好ましくない自分 と捉えてしまっている。
ここで自分で自分をジャッジしている(汗)この私は良い・この私は良くない…
そんな時を必殺技!!
自分のネガティブも受け入れます!と決める。
心底、本気で、決める。そして、あーネガティブだね〜と自分を客観視する。
次に何が起こるかな♪♪ ワクワク
みんなも「観る」のん、やってみてください♪
*因みにこの「観る」という漢字ですが、草がボーボーのところの奥に何があるかを見通す力を指すそうです。つまり、自分を観るとは、表面的に出ている感情や現象の奥に潜んでいる「何か」を探し当てる作業ですね!
どんな自分もOK! いい悪いはない!コインの裏と表だから♡
ネガティブ=裏
ポジティブ=表 である必要だってない!
ぜ〜んぶ自分♡ するときっと相手を無条件に受け入れることができてくるはず⭐︎
法則: 電車でギャン泣き 編
こんにちは!子育て奮闘中のシンママ、エマです⭐︎
今日から、私が子育ての中で学んできた法則を読者の皆様とシェアしたいと思います。
共感したり、こんなとき私はこうしたよ〜とアイディアを交換していけるような場になるといいな〜と思ってはじめました!
さて、今日の法則は
『こうあって欲しい』という親の欲求ほど叶わないものはない!
です(涙)
電車の中、スーパー、レストランなどなど、公共の場ではいつになくお行儀よく、賢くしていて欲しいもの。だからちょっとおやつを食べさせてみたり、お気に入りのおもちゃも持足せたり、とあれこれ親は工夫するもの。
そして、大声で泣き叫ぶ子供を見ると躾がなっていないと思われるダロウな、と不安になったり、うわ〜うちの子あんなんなったらど〜しよ〜って思う。ふと湧き出てしまう感情。
でも、この感情を無視している間は、子供の行動が気になって仕方ない。
なぜなら宇宙の法則上、こうあって欲しいという結果重視の欲求は叶わないから。
こういう場では、大人しくあって欲しい。行儀よくいてほしい。静かにしていてほしい。などなど、子供に対する思いは絶えないもの。
でもこれは親の「こうあるべき」という思考パターンが奥のほ〜に潜んでいる。もう奥に隠れて忘れてたわ!くらい奥。つまり無意識。
躾ができている子は聞き分けがいい子。公共で大人しくしていられる子はいい子。つい、そう思いがち。でも問題はこう思うことではなくて、この感覚の裏に潜んでいる「こうあるべき」姿から外れてしまった子や状況、状態を受け入れられなくなること。
そこを受け入れるまで、その嫌な状態は継続する(涙)
スーパーでは静かに、走り回らないのよー!!!!と口をすっぱくして緊張して子供に接している間は子供は走り回るってこと。
このメカニズムがわからなかった頃の私は「電車で騒ぎ出したら嫌だな〜」と心細く思っていた。するとどうでしょう!
だっこーーーーー!
と電車の中で大声で騒ぎ出した我が子。
ギョッとして冷や冷やしながら、いいよーーーーおいで!って言ったら、まさかの
抱っこいやーーーー!!!!
これが30分続き私はヘロヘロ。子供はギャン泣きのまま。
電車降りて、ホームのベンチで子供抱きかかえて泣きました。
途方に暮れてた。なんでこーーーなるの?!って。
うちの子本当はすごく愛敬あって可愛いくて、こんなじゃないのよーーー!信じてーー!!!って迷惑かけて申し訳ない気持ちと子供を誤解されたであろうショック、私はなんて情けない母親だろうか、とか、いろんな感情が入り混じって一気に押し寄せてきた。
でも、ちょっと時を経て、今思います。静かにしていられる子なのに、私がそれを一番疑ってかかっていたんだな〜って。
そして、何より、静かにするべき!と生真面目に拘っていた。
子供は泣いて当たり前。途中下車したって構わないのに、電車は静かに乗るべき、ぐずらせてはいけない、親の責任!と強く思いすぎていました。
もっと肩の力を抜いて、ぐずったって大丈夫!と思えるまで、随分時間がかかりました。
本来、子供の力を信じるのが親の仕事。
今日もどんな子供の姿を見せてもらえるでしょう♪ 楽しみですね!